煉瓦は人間の身近にある「土」を使って作ることができるため、世界各地で最も古くから使われてきた建築用材料のひとつである。
 煉瓦の歴史は古く、紀元前3千年頃、あるいはそれ以前からとも言われており、古代エジプト、メソポタミア、中国では煉瓦を使って塔などの建造物が築かれ、とくに有名な大きなものとしては中国の万里の長城がある。
 中国では煉瓦のことをタイル状のものも含めて「セン」と呼んで、古くは日干し煉瓦を「ゲキ」と、焼成煉瓦を「ヘキ」あるいは「レイテキ」と呼び変えていたようで、煉瓦の歴史は極めて古く、我国には、仏教にともなって伝来した寺院建築の技術の中に伝えられたと思われているが、明らかではない。
 我国に本格的に赤煉瓦が導入されたのは幕末期の軍事工場においてであるが、その後、安政年間、慶応年間、そして明治初期と、いづれも外国人技師の指導のもと、日本の瓦師が苦心して赤煉瓦を焼きあげた。

 北海道における煉瓦の製造は、明治5年、函館近郊の茂辺地村が始まりで、樺戸、帯広、網走の集治監でも煉瓦は作られたが、その後、明治23年には江別でも煉瓦生産が始まり、野幌周辺が最大の煉瓦生産地となった。
 最盛期には野幌にあった10数社の煉瓦会社も現在では3社となり、当社は、先代社長西村吉次郎が昭和4年4月より空知郡栗沢村最上(現在の栗沢町)の小林煉瓦工場の煉瓦及び土管製造の経営に当り、昭和13年6月には、満州国北支那の業界を視察し、同年8月に夕張郡長沼村大字北長沼(現在、長沼町北長沼市街)に昭和煉瓦株式会社を創立、取締役となって事業経営に当る。
 さらに、昭和15年4月に札幌郡白石村大字白石(現在、札幌市白石区平和通5丁目南2付近)に所在の北海道煉瓦株式会社、専務取締役に就任し経 営に参画する。
 当社の創立は、昭和15年9月1日に札幌郡江別町野幌(現在、江別市幸町35番地)において、さらに昭和16年1月23日に資本金18万円で江別市幸町35番地に設立。先代社長西村吉次郎が煉瓦製造以来、創業61年の歴史を有し、この間、昭和18年4月に札幌郡白石村大字白石に所在の北海道煉瓦株式会社を当社白石工場とするなど、野幌煉瓦製造の歴史の半世紀も越え、幾多の試練をのりこえ、時代を先取りした地球にやさしい、環境と共生できる煉瓦造りをめざし、平成3年11月には、江別市工栄町に日本最大規模の全自動設備ライン工場が完成し日本一の赤煉瓦生産量を誇る工場となっており、さらに平成8年8月には、角山本社レンガプラント工場が、江別第二工業団地に江別市幸町35 番地より、移転新築完成しております。〔主な製品名はレンガ、レンガブロック、タイル、陶土管類、暗渠排水土管、視覚障害者用ブロック、粗面レンガ、メーソンリーレンガ(外断熱工法用)、クラシックレンガ、レンガデューン、ガーデンポット〕